昭和47年3月20日 朝の御理解
                                中村良一
御理解 第71節
「ここへは信心のけいこをしに来るのである。よくけいこをして帰れ。夜夜中、どういうことがないとも限らぬ。おかげはわがうちで受けよ。子供がある者や日傭取りは出て来るわけにゆかぬ。病人があったりすれば、捨てておいて参ってくることはできぬ。まめな時ここへ参って信心のけいこをしておけ。」



今朝は、ものすごい雨風でございましたが、その、雨を風を突いて、えー、お参りをして見える。それが、んー、おかげを受けなければならんからお参りをする。雨を突いて、風を突いてお参りをしてくる。というのと、んー、信心の稽古に通うというのとで、その雨風が妙に違ってくるようですね。雨風が、ね。いわゆる、けいこに通ってくるというところに、雨風の時でなからなければ、頂けん稽古が出来る。確かに、ここのところを、おー、分からせてもらわななりません。これは、何のけいこでも同じでしょうけれども、やはり、しっかりした、あー、稽古をするという事は、しっかりした、その基礎を作るという事だと思うのです。ね。だからそれは、願い事がない訳はない、沢山あるのですから、その願い事を通して、信心の稽古をさせて貰うわけですね。そこで、その、信心の、おー、稽古というのは、どういうところから神様が稽古をさせて下さるかというと、もうこれは、必ず同じです。ね。必ず、おかげを受けた人、御徳を受けた人の過程、過去には、必ず、人の真似のできんような修行があっとりますね。これは、絶対なものです。人の真似の出来んほどしのおかげを受ける。だから、そこんところだけを見て、人の真似の出来んような、修行のほうは、おろそかになったんでは、本当じゃありません。いいや、随分、何十年と言うて修行してまいりましたと言うても、ね。それが、修行ではなくて、ね。おかげをいただかんならんから、ほらもう、雨の日でん、風の日でん、もう朝早よから参ったと、言うのでは、大変違うですね。本気で、稽古のために通うたと頂かなければ、ね。その一言一言を、願わねばならないような、いろんな問題を通してです。ね。信心を、いわゆる、土台を確立するという。ね。「まめな時ここへ参って信心のけいこをしておけ」と、こういう。ね。参りはおるけれども、信心の稽古で、稽古には参ってきとらん。これは、本当に、日々、結構な信心の稽古をさせて頂いておりますという内容が、日々なからな、ね。取り組みませんもんね。様々な問題、取り組まなければ稽古にはなりません。
昨日、学院の末永さんから手紙が来ました。久しぶり手紙が来ました。今朝方から、あんまり有難いお夢を頂いたから、早速、筆を執りましたと。まあ、いう事が書いてあります。それに、大阪の阿倍野の教会の青年会と、合楽教会の青年会が合同で、信心共励会をやっている。余り、興に乗りすぎて、もう、一晩中、一睡もせずに共励をしたという。阿倍野のほうでも、親先生と、若先生が出ておられる。合楽のほうも、親先生と若先生がそれに参加しておられるというのである。そしたら、合楽の若先生が、ぽつんと言われたことは、「あんた達は、信心の共励、信心の稽古と言うてから、それこそ、これほど日々、有難いお話をいただきながら、目ん玉に指を突っ込むようなことばっかりを、共励しておっては淋しい事だ。」と、ぽつんと言われたというところであった。ね。なるほど、信心の共励という、もう、時間も惜しいのに、もう、時間のたつのも忘れるようにして、一晩中共励をした。けれどもその、今日例の焦点がです、ね。目の玉に指を突っ込むようないただき方。勿論、合楽の青年会に言われたわけでしょう。阿倍野といや、それこそ、名実共に、日本一と言われるような大きな立派な教会。日に何千人という信者がお参りをされるというほどし。お話を頂かんでも、もう、どんどんおかげを頂く教会である。そういうおかげをです、合楽の人達が一足飛びに頂こうというような話し合いなら、これは、やはり、目ん玉に指突っ込んだような、突っ込むような事じゃなかろうかと、私は思うですね。あれは、あれで、阿倍野には阿倍野で、ね。何十年間という長い、信心のあちらの歴史の中に         はです。ね。それこそ、血の涙の出るような修行も習っておられる。それこそ、人の真似の出来ぬような修行というものの基礎が出来ておる。寝る事を忘れる、食べることを忘れる、着る事を忘れると、言うほどしの徹底した信心修行をされた、その時代に、ね。その、阿倍野の中心になる方達は、そういう信心に、一緒に、そういう信心を身に着けておる。そういう、いわば、信心の基礎的なものがです。ね。そういう稽古が、がっちり出来たところからです。ね。後は、それこそ、元を取って道を開くものは、あられぬ行をするけれども、後々のものは、みやすうおかげを受けられるといったような、見やすいおかげがたっておる。その見やすいおかげのところを合楽の人達が、話を、そういう、たとえば、おかげを頂こうといったような話では、淋しいことだと。そげな、目ん玉に指突っ込むごたる話をしてと、若先生が言われたところであったというのである。ね。だから、阿倍野には、阿倍野の、やはり、信心の、やはり、基礎という、基礎がしっかりと出来ておって現在の阿倍野である。合楽だってそうです。ね。最近私が、ね。この前のお月次祭に申しましたように、武雄の教会の教会長先生、まあだ、青年教師です。お爺さんという方は、お父さんという方は、もう、何て言うでしょうか。さっぱりした先生でしたけれどね。んー、御道の、まあ、ボスだと言われたっですね。本部あたりに行かれても、今の教祖様つかまえて、「鏡太郎」ち言うておらびよりなさったのは、この人一人だった。ね。もう、次は、四代の金光様をお継ぎになられる金光様に向かって「鏡太郎」ち言うておらびよりなはったそうです。もう、実に、えー、まあ、何ち言うか、磊落(らいらく)なって言うかね、性格の。親教会のことのために、自分が犠牲になって、んー、大変な犠牲になられたという事です。それで、その後に、それこそ、そういう先生のところをですけれども、どんどん人が助かっておかげを受けられたという。ところがその、お子さんが無かった。そこで、全然、その、関係違いの甘木教会に来て、安武松太郎に、先生に、「お前んところの弟子を、一人俺のところに寄こせ」と。「手続きでもないから、そんなわけにはいけん。」もう、それこそ、喧嘩腰じゃったそうです。もう、何日間泊り込みで、現在の先生を貰い受けられたというお話です。やはり、ですから、この頃、青年教師の、おー、会が、去年の秋でしたかね。ここでございました時にも、なかなか、お父さんに良く似て、さっぱりした、あー、人の言えん事でも、ぽんぽん言うような先生です。その先生の話を、あの、今度、久留米でまた青年教師会があって、その武雄の先生が発表されたなかにです。ね。私は、んー、「合楽教会の先生のお話を、二日間聞かせて貰うて、それ以来、私の信心が一変してしもうた」ち。「私の教会の、雰囲気まで変わってしまった」と。ね。とにかく、合楽の先生が言われるのは、もう、一つひとつ、心に銘じ、肝に銘じと。あー、人が助かることのために、人が助かるように、助かるように、出来るだけ信者が参ってくるようにばっかり思いよったが、そげな事で人が助かるかと。人が助かる前には、自分自身が助からなければと。もう、このことなんかはもう、素晴らしいことだと。それで、ほんなら、自分が助かることのためには、どういう風に言われたかというと、「成り行きを尊べ」「成り行きを大事にせよ」と言われた。またこの、成り行きを大事にするという事の素晴らしい事を話された。
最近は、教団で言っておられることでも、ね。問題を問題として、そこから、あー、その、おー、とり、実意丁寧に、その問題を問題として取り組んで行けというような意味の事を言われるけれども、合楽の先生は、問題を問題にするから、また問題が大きくなって行くのだと。ね。問題を信心で頂いて行けと。問題を信心で受けて行けと。そこには問題は無いじゃないかと。もう、このことなんかは、私は、最近、教会で、自分の教会の上の問題、また信者の問題なんかを取り次がしてもらうのに、ただ、この問題が楽しみになったち言うて発表されたそうです。ね。問題が問題じゃなかばいて。その問題を、信心で如何に頂くかという事なんだと。それが、成り行きを大事にすることにもなる。そこにです、自分自身の助かりを感じてきたと、こう言うわけなのです。若先生はたまがっとりました。たった、二日間、そうね、日に、ニ、三時間づつぐらい話しましたでしょうから、まあ、言うなら、全部聞かれて、五、六時間の、私の話を聞いて、ようも、合楽の信心は、あれだけ覚えとるだけでも大した事だけれども、それを、身をもって行じて、その体験を発表しておると言う事に、本当びっくりしたと言うてから、永い間言うておりました。けれども、それをなら、聞いておる、他の青年教師の人達は、いっこう分かるような風は、顔はしとらじゃったというわけなんです。ね。今の合楽はね、本当に、例えばその、成り行きそのものを大事にさせて貰う稽古。ね。問題を、そこからおかげ頂きたいと願うのではなくて、その問題の中から、信心に、その問題全部を、自分の信心にして頂いて行こうといういき方。そこに、問題が起きてくることが楽しいような、私は、今こそ、信心をさせてもらわなければならない時だと、ね。だから、そういう、例えば、頂き方をする人が、言うならば、五十人、合楽に欲しいと言うのである。どうでしょうかね、皆さん、じっとこう見てごらんなさい。十人おるだろうか。まあ、十人おるとして、後もう、四十人出来なければ、ね。言うならば、阿倍野のようなおかげは受けられんという事になるのです。これが、合楽教会の基礎になるのですから。五十、五十本の、いうなら、その柱が基礎になって出来上がるのですから。だから、どうでもです、また、それを受ける事が、実を言うたら楽しいのですけれどもです。ね。本気で、ね。どうすりゃ人が助かるじゃろか、どうすりゃ教会の発展、せっかく御道の教師にならせて頂いて、今のような事では出来んというような願いを、日頃、一生懸命持っておられるから、合楽に見えたときに、合楽で、事実おかげを受けておる、私の話を、そのように、ね。そのまま、受けられたことではなかろうかと私は思うです。ね。だからその、問題は、信心にしていただいていく、おかげにして行くという、その迫力がね、やはり、信心が好きになるというか、その問題が起きてくることが楽しゅうなったと言われるようなものが必要になってくるわけなんですよ。そこには、ほんなら、雨もなからにゃ、風も無い。朝、眠たいけども、朝参りをするというようなことは、問題でなくなってくるでしょうが。ね。私は、そういう稽古でなからなきゃならん。また、末永さんが、その次に頂いておるお夢を書いとります。続きのようにして頂いておる。玉島と言うところがある。その、玉島へ向かって、一生懸命、丁度、馬が走るときに、ぱかぽこ、ぱかぽこと言うて、あの走るように、自分が口でそれを言いながらね。玉島のほうへむかって、一生懸命走っていきよるところを。その走っておる道が、もう、全部、栗林であったという。真っ青な、栗がもう、枝もたわわに一杯なっておる。そのなかを、ぱかぽこ、ぱかぽこと、その馬が駆けるような勢いで、口でそれを言いながら通っておるところを頂いた。行き着いたところにはもう、沢山な菜葉があったと。ほー、こらまあ、ここん菜葉狩り来るなら、沢山ある。けれど、用心せんとこりゃ、食べられん菜葉ばっかりで、毒なもんもあるたいと思いよるところで目が覚めたと言うのである。ね。御道の教師を志した。合楽で、えー、五、六年間も修行させてもらった。学院に行った。ね。その、例えば、修行の道すがらと言うものは、ね。どういう事かと言うと。栗林の中を突っ走っておるようなものであると。栗林という、栗がたわわに、青い、まあだ、ね。赤くもなってなければ、まだ、実がこう、おー、こぼれそうになっているわけでもなし。もう、言うならば、ジガジガするようなことばっかりというわけなんです。そのなかをです、それこそ、ぱかぽこ、ぱかぽこと、馬が駆けるような勢いで、玉島、玉島という事は、おかげという事でしょうね。玉という事は。おかげへ向かって進んでおる。行き着いたところにあったものは、沢山な、菜葉山であった。ね。だから、信心の過程が、どうでもこの、栗林の中であり、その、菜葉の山である。菜葉といや、いうならば、木が腐って出来るのが菜葉ですは。木とは心、自分の心が、本当に、暗くなったり、腐ったり、ね。もう、くさくさすると言ったような中からです。ね。菜葉にも等しいような、ね。くさくさしなければ頂けないような、おかげをそこに現していくという事である。これが、どう、しゃっち、信心の修行の過程なんです。これが基礎なんです。ね。だから、ね。楽なことばっかり、楽な目に合おう、楽な目に合おうと思うて、信心にお参り、信心させてもらいよる、いつまでたったっちゃ楽にならん。楽になるはずがありません。本当の楽には。ね。末永さんが頂いておるのは、そういう事だと、ね。合楽も、やはり、例えば、そういう信心の基礎のしっかり出来た、五十本の柱が出来たら、ね。それこそ、阿倍野でゴヒレイを受けておられるようなおかげが、頂けるようになるだろう、と私は思う。それを、例えば、ほんなら、合楽の青年会が、今、いっぺんに、阿倍野におかげを受けておられるようなおかげを、いっぺんに頂こうというような話を目ん玉に指突っ込むような話だという事なんです。通るところを通らせていただいて、しかも、それが、どこまでも、信心の稽古に通うてくるのである、ここには。ね。ただ、お願いに来るのではない。それかといって、お願いしちゃならんと言うのではない。信心の稽古に通うてくる。その事を通して、信心の稽古に通うてくる。稽古でなからな、取り組まな。もう、お取次ぎを頂いたけん、お願いをしたけんでもう、そっで良かごと。ね。本当に、問題が楽しゅうなるくらいの取り組み方をさせていただかにゃいかん。なるほど、本気で、成り行きを尊ばしてもらう、大事にさしてもらうという事は、このようにも素晴らしいことだという体験をいただかなければいけん。
参ってお願いをすりゃおかげを頂くと、言うような信心を、みんなが願っておるけれども、そういう信心の他愛無さと言うか、そういう事を、本当に分からせてもらって、今こそ、若先生が夢の中で言った。「これほど有難いお話を頂きながら、合楽で。」ね。それを、ね。一足飛びにおかげを頂こうと言ったような事を言うたり、ただ、共励の焦点が、その辺であったりしたのであっては、実に淋しいことである。ね。問題は、本気で信心の稽古に通わせて貰ってると。そこにです、例えば、今日のような、雨風も、ね。素晴らしい信心の稽古の、いわば、修行として神様は受けて下さると。ね。おかげを頂かなければならん。おかげを頂かねばならんから、雨風を突いてまいったのとは、大変な違いが出来てくるんだと思うのです。ね。そして、本当に、まあ現在、そういう、ただいま申しますような、ね。武雄の先生が、たった、五、六時間の話を聞いてくださって、ね。それを実際に、自分の教会の上に、自分のいき方の上に現して、その事の素晴らしいことを体験しておられると言うようなです。金光様の先生だから出来るといったようなもんじゃなくてです。そんなこっじゃ無いです。本当に信心させて、とりわけ、合楽で、ほんならこの、五十人衆の人達がです。ね。そういう、例えば、信心の楽しさと言うか、ね。本当に、えー、問題が楽しゅうなると言うほどしの体験を信心の基礎として、おかげをいただいて行かれたら、その上に打ち立てられる、合楽の信心は、ね。それは、人間の知恵、力でのことですから、いかに、人力ほどしの尊と、今日その神様の送り名、遺号を申し上げるけれども、それとても、やはり、人力のことですから限りがある。ね。その人力の限りを、こら、人間心と言う意味じゃないですよ。ね。どれほど、例えば、ゴヒレイを打ち立てることが出来るかと、ね。日に何千人というお参りが、ひとつの教会にあるというのが、ほんなら、家は一万ぐらいお参りが出来る。そら、いうならば、無茶な話なんですよね。そら、限りがありませんでしょう、神様が下さるおかげというのは。ね。けれども、こっちの信心が、人間のすることですから、限りがありますよね。ね、ですから、ああいう例えば、なら、この辺では、甘木があり、ね、久留米があり、ね、阿倍野、玉水、泉尾あたりの、先輩教会の、そういうおかげを受けておられる先達の方達がおられますから、そういうおかげを頂きたいと願う。だから、そこんところだけを頂きたいと願うのは、目ん玉に指突っ込むようなものだという事。そういうところへは、そういうところへ、ちゃんと信心の基礎、いわゆる、五十人衆なら五十人衆があって、それが出来てから、初めて阿倍野があるのであり、ゴヒレイを受けられた教会があるのである。合楽の場合は、今こそ、ね。栗林の中を走っておる、ね。または、本当に、こういう心の状態、こういう、例えば、難儀なら難儀の中にです、菜葉のようなものが生まれてくるようなおかげを頂いていかねばならない時。ね。という事を、私はしっかり頂いて、いわゆる、本気で信心の稽古に取り組まなければいけないと思うですね。どうぞ。